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宇都宮地方裁判所 昭和35年(ワ)266号 判決 1963年1月12日

原告 小暮恒夫

被告人 鹿沼市

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金六二万円及び内金六〇万円に対する昭和三五年一二月二〇日から、内金二万円に対する昭和三七年一〇月一〇日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え、訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として

一、原告は昭和二〇年三月二日生れの未成年者であり、昭和三五年二月二七日当時鹿沼市菊沢中学校三年に在学中であつたところ、右日の授業中同級生宇賀神武士が、同級生大出純一に対し定規を貸せと申出た。そこで大出純一は所持の定規を二分してその一を貸そうと思い、これを折つたところその破片が、大出純一と並んで机に腰掛けていた原告の右眼に当り、そのため原告は遂に失明するに至つた。

二、しかして右事故は大出純一の過失によると同時に授業の受持教諭であつた訴外岩本武典の過失によるものである。すなわちセルロイド製又はプラスチツク製の定規を手で二つに折るときは破片が周囲に飛び散つて、それに当れば思わぬ負傷等の事故が発生する懼があるから、授業を担当していた岩本教諭には右の如き危険な行為を制止すべき責任があるのにも拘らず同人は不注意にも大出純一が定規を折ることに気付かなかつたのであつて、本件事故が同人の過失に起因するものであることは明かである。

三、前記菊沢中学校は被告鹿沼市の経営管理下にあるものであり、本件事故は右中学校の授業中岩本教諭の過失により起されたものである以上、被告鹿沼市には国家賠償法により原告の蒙つた損害の一切を賠償すべき義務がある。

四、原告は前記失明により将来普通の進学も就職も満足に出来ない哀れな状況に置かれたもので、その損害は計り知るべからざるものがあり、精神的苦痛は甚大であるから、ここに被告に対し慰藉料金六〇万円及びこれに対する訴状送達の翌日たる昭和三五年一二月二〇日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

なお原告は本件負傷治療のために同年三月二日から同年六月二九日まで病院に入院したが、右入院中雑費として合計金二万円を費した。よつて右損害金二万円及びこれに対する、右請求を口頭弁論でなした日の翌日たる昭和三七年一〇月一〇日から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を併わせ求めるため本訴請求に及んだ。

と述べ、国家賠償法についての法律上の意見として

本件損害賠償請求は国家賠償法第二条に準拠するものである。本件損害の発生した鹿沼市菊沢中学校は被告市の設置管理に係るものであるから、同校の教室が同法の「公の営造物」であることは論をまたない。しかして学校の授業は広義における営造物の管理に含まれるものであるから、その教室中の出来事である本件損害も又同法の「公の営造物の管理に瑕疵があつた」ために発生したものというべきである。

と述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め答弁として

一、第一項は原告がその主張のような事故のため右眼に負傷したことは認めるが遂に失明するに至つたとの事実は認めない。その余の原告主張事実は認める。

二、第二項中本件事故発生につき岩本武典教諭に過失のあつたとのことは否認する。

その日岩本武典教諭の担当した授業は製図(住宅平面図)の作業であつたが、生徒宇賀神武士が製図に必要な定規を忘れて来たので生徒大出純一に借りに行つた。そこで大出は自分の所持していた定規(長さ一五糎セルロイド製)を半分に切つて貸そうと考え、安全カミソリの刃で半分のところにすじを入れて机下の膝の上で力を入れて折つた時思いもかけず、セルロイドの破片が左隣机に腰掛けていた原告の右眼に飛込んで負傷したものである。事故発生当時の原告その他の生徒及び岩本教諭の位置は別紙図面<省略>のとおりである。原告の座席は生徒田野井栄司の背後であるのに原告は勝手に大出純一の机と左側の生徒田野井栄司の机の中間の通路に自分の机を持つて来たものであり、そのことが結局本件事故を発生せしめたのである。岩本教諭は当日第一時(午前九時)に製図の授業を開始したのである。尤も同教諭は前日に次の日は自分の家の住宅平面図を書くから自分の家の間取りをよく調べて製図の出来る用意をして来るように伝えてあつたものである。授業を開始するや製図に関する注意を与えて作業を始めさせた。岩本教諭はしばらく教卓から生徒の作業状態を見ていたが生徒個人に対し指導すべく北側前列の生徒伊谷野隆之、次に斎藤定男、次に中村勝広に来て製図の指導中事故が発生したものであるが、原告の座席の移動及び生徒宇賀神武士、大出純一等の行動には気付かなかつたものである。しかし教育指導上過失があつたものと考えられない次第である。

本件事故発生の場所は菊沢中学校三年C組教室、学級構成は選択教科(職業)A組一三名B組一四名C組一二名D組一五名計五四名、授業担当者岩本武典は三二歳、勤続年数一一ケ年、関係生徒は原告昭和二〇年三月二日生れ、大出純一昭和一九年四月二七日生れ、宇賀神武士昭和一九年五月一六日生れでいずれも中学三年生であるから生徒各自は自己の行為の善悪に対する一応弁識力があるものである。担当者岩本は授業の必要から各生徒に対する個人指導を行つている際に原告及び大出、宇賀神等の行動に注意することは不可能事に属するものであるから、善悪に対する弁識力を有する大出等の行動により惹起された本件事故につき、岩本教諭には故意又は過失の責めらるべき所為は存在しないと考えられる次第である。

三、第三項中菊沢中学校が被告市設置の営造物であることは認めるが、その余は認めない。本件の如き事故には国家賠償法の適用はない。原告は同法第二条により被告市が賠償の責を負う旨主張するが同条にいう営造物の管理の瑕疵中には教諭の教育活動の分野における過失を含まないから、仮に岩本教諭に責任があつたとしても同条により被告市に損害賠償を請求することは出来ない。又教育活動は公権力の行使でないから同法第一条にも該当しない。若し同人に責任があるとすれば民法不法行為の規定により同人に対し損害の賠償を請求すべきである。

四、第四項は原告が本件事故により負傷治療のため原告主張の期間入院中雑費として合計二万円を費したことのみを認め、その余は認めない。右雑費以外の入院費合計三六、六五〇円は生徒大出純一の父及び宇賀神武士の父において折半負担した。なお原告には職員と生徒会、P・T・A等から合計数千円の見舞金が贈られている。

と述べた。<立証省略>

理由

一、原告は昭和二〇年三月二日生れの未成年者で昭和三五年二月二七日当時鹿沼市菊沢中学校三年に在学中であつたこと、右日の授業中同級生の宇賀神武士が同級生大出純一に対し定規を貸せと申出たので、大出が所持の定規を二分しその一を貸そうとしてこれを折つたところ、その破片が大出と並んで机に腰掛けていた原告の右眼に当り原告が負傷したこと、(その程度については争いがある)右授業は同中学校教諭岩本武典が担当していたこと及び同教諭は宇賀神、大出等の前記行動に気付かず右事故は同教諭の知らない間に惹起されたことはいずれも当事者間に争いがない。

二、よつてまず義務教育たる中学校の教師が教育活動中に、故意又は過失により生徒に損害を生ぜしめたときは国家賠償法により市において損害賠償の責を負うかどうかを検討することとする。

原告は、菊沢中学校は被告市設置の公の営造物であり、訴外岩本武典教諭は被告市の地方公務員であつて、同教諭が授業中過失により生徒たる原告に損害を生ぜしめたのは公の営造物の管理に瑕疵があつたに外ならないから同法第二条に準拠して被告市は損害賠償の責を負う旨主張するが、同条に謂う営造物は学校の建物その他の物的設備のみを指し、従つて営造物の管理は右物的設備の管理のみを指し、教師の授業その他の教育活動は営造物の管理中には含まないものと解すべきであるから、原告の右法律上の見解には従い得ない。しかしたがら原告は具体的事実を挙げ、これによつて損害を蒙つたと主張して国家賠償法により被告市に損害の賠償を請求しているものであるから、原告の前記法律上の意見には従い得ないが、原告の主張するように岩本教諭が教育活動中に過失により生徒たる原告に損害を加えた事実があつたと仮定して、国家賠償法の他の条文たる第一条が適用されるかどうかを更に考えて見なければならない。

さて右の点については「学校教育の本質は国民の教化育成であつて国民ないし住民を支配する権力の行使を本質とするものではないから、学校教育はいわゆる非権力作用に属するものである。それ故学校教育に従事する公務員は公権力の行使に当るものではない」との有力な見解があるが従うことに躊躇する。思うに義務教育たる中学校への就学は保護者に義務として課せられて居りしかも被告鹿沼市の地域には学校法人設置にかかる私立中学校は存在しないから(右は当裁判所に顕著な事実である)学令に達した生徒は必ず被告市の設置した中学校に就学しなければならぬものであり、しかも義務教育においては年令及び身分の関係があつて教師と生徒とは平等の関係になく生徒は一に教師の命令により進退するものであつて、その事実は教師が公権力ないし公権力に以た力をもつて生徒を支配しているものと見られ、そこに危険も存する(例えば臨海学校において教師が海水浴をせよと命すれば生徒は海に入り、陸に上れと命ずれば陸に上る。)から、学校教育の目的ないし本質が国民の教化育成であるにしても、教師が教育のために生徒を支配する関係において、故意又は過失によつて、生徒に損害を蒙らしめたとき(前記例において今まで静かであつた海が風波により荒れて危険になつたのに拘らず教師が判断を誤つて陸に上れと命ぜずして放置したため生徒が溺死するに至つたとき)は国家賠償法第一条にいわゆる「公共団体の公権力の行使に当る公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」に当ると解するのを相当とする。しかして菊沢中学校という営造物が被告市の設置に係ることは当事者間に争いがないから、前記のような場合には、国家賠償法第三条により、岩本教諭が県費負担教職員であるにしても(この場合にもなお岩本教諭が被告市の地方公務員であることは地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四七条からもうかがえる)設置者である被告市において損害賠償の責を負うものといわなければならない。

三、よつて進んで本件事故が岩本教諭の授業における過失に基因するかどうかの点を判断するに、

(一)  証人岩本武典、大出純一の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すれば、

(い)  本件事故の起つたのは「職業選択」という教科の「住宅平面図」製作の授業中であつた。右授業は三年のA、B、C、Dの四クラスの中から職業選択の男子生徒だけが受けるもので、右授業には各クラスから合計五四名が出席した。授業担当教諭岩本武典は前日、各生徒に対し次の日に「住宅平面図」製作の授業をするから定規を持参するように注意してあつた。

(ろ)  その日右授業を始め岩本教諭が教卓に居たとき原告は別紙図面<省略>の空場所に居り、生徒大出純一、宇賀神武士、田野井栄司の各位置は同図面記載のとおりであつたが、岩本教諭が個別指導のため同図面の伊谷野隆之から、斎藤定男を廻り中村勝広に至り、同人に個別指導をしている際本件事故が起つた。すなわち岩本教諭が個別指導に従事してその方を見ず従つて気付かない間に原告は生徒田野井栄司と仲良しであり、且生徒大出純一が製図が上手であるからそれを見ながら製図をしようと考え、大出純一と田野井栄司の間の通路に机(腰掛も一緒についているもの)を持つて行き(原告のもといた場所はその後空いていた)大出純一と並んで腰掛けていたところ、宇賀神武士が定規を忘れたとて大出純一のところに定規を借りに来た。大出純一は今まで定規を二つにして他人に貸したことはなかつたが、安全カミソリで傷をつけて折れば易く定規は二つに折れ、何等危険などはないだろうと考え、所持していた長さ一五糎のセルロイド製定規に安全カミソリで傷をつけ、腰掛けたまま右膝の上で両手に力を込めて折つたところ、約一糎四方のセルロイドの破片が飛んで左隣の机に腰掛け下を向いて製図の線を引いていた原告の右眼にあたつて原告が負傷した。

(は)  「職業選択」の授業には多いときは六〇名位の生徒が出席し、本件事故のあつた授業には前記の如く生徒五四名が出席したが、その教室備付の机では足らず他の教室から机を持つてきて、その教室の後方に並べた。「職業選択」の授業に余りに出席者が多いときは机と机が接着することもあつた。従つて岩本教諭は原告のやつたように机を他の生徒の机に接着させることに対し、やかましく言うことはなかつた。(尤も本件の場合はその出席者数及び原告の移動したあとが空いていた事実から見て机を接着せしめなければならぬ必要があつた訳ではなく、原告は前記認定のような理由で机を接着させた)

(に)  定規の借り貸しは平素からよく行われたが、定規を二つに折つて貸すということは行われず、岩本教諭は未だかつてこれを目撃したことがなかつた。

との事実を認めることができる。

(二)  なお関係者の生徒大出純一が昭和一九年四月二七日生れ、宇賀神武士が同年五月一六日生れであるとの被告の主張事実は原告において争わないからこれを自白したものと看做す。

(三)  以上確定した事実関係に基いて岩本教諭の過失の有無を考えるに岩本教諭が製図の授業において生徒伊谷野、斎藤、中村に対し順次個別指導したのは右授業の性質上必要なことであつたというべくこれをもつて同人が不注意のことをしたとは言い難い。そうとすれば同人が原告の机を移動したことにも、宇賀神武士が大出純一のところに定規を借りに行つたことにも又大出が定規を二つに折つて貸そうとして折る動作に移つたことにも気付かなかつたのは誠に止むを得ないところである。原告は岩本教諭の右気付かなかつたのは相当な注意を欠いた結果であると主張するが、同教諭が教卓に居て始終生徒を見張つていることは製図の授業をより効果的にする為めに許されない。個別指導をしながらなお教室全体に目を放さないことを要求するのは他人に難きを求めるものである。同教諭がセルロイド製定規を二つに折つて貸すような危険なことをするなと予め生徒に注意した形跡はないが、定規を折つて貸すというようなことは夫まで一度も起らなかつたのであるから、岩本教諭がそれを予防するために注意を与えるということは全く不可能の事である。又岩本教諭が生徒の机の移動を厳重に禁止していなかつたとしても、原告が大出純一の机に自己の机を接着せしめたことは本件事故発生の一つの条件をなしてはいるが、右机を接着させたことと本件事故の間には相当因果関係はないから(講堂などで二人以上並び得る机を使用して授業をすることは普通行われている)右机を接着させたことをもつて本件事故の原因となすことはできない。事故の原因は大出純一が定規を安全カミソリで筋をつけて手で折つたことにある。よつて同教諭が生徒の机の移動を厳重に禁止しなかつたことをもつて本件事故の基因たる過失ということは到底出来ない。しかして関係生徒大出純一、宇賀神武士は共に当時一五年以上、原告は一五年に数日足らない年令でいずれも中学校三年生の終りに近く、是非善悪の弁識力を具有していたと見るべきである以上、同人等の行動に対し岩本教諭には責を負うべき理由はなかつたといわなければならない。結局岩本教諭には過失を見出すことができない。

四、以上のようであるから、原告の本訴請求はその余の点を判断するまでもなく、理由がないものと認めて棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 内田初太郎)

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